本のあるくりはら
このブログは、いつでも、どこでも、誰でもが身近に利用できる図書館をめざす「図書館をもっと大きく育てる会(栗原市)」のホームページ「本のある広場」を受け継いだものです。
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<子どもの本シリーズ9 修正版>
<子どもの本シリーズ9 修正版>      2008.11.14   

読み聞かせ講習会②-2 語り(発表)と講評                

2008.11.9

1、講師紹介

山田 仁子 氏(仙台市) 

*「おはなしてんとうむし」代表、「どろんこ文庫」主宰
 1974年に自宅で「どろんこ文庫」を開き、子どもと本をつなぐ様々な活動をするかたわら、自らも勉強を重ね、ストーリーテリングの講座を開くなどの活動をされています。
* 「おはなしてんとう虫」―生の声で語られるおはなし((ストーリーテリング)をたくさんの子どもたちと楽しみたいと、1993年に発足した語り手のグループ。学校や図書館などに出向いて、おはなし会を開いている。

 山田さんには、前年度の講習会でストーリーテリングの素晴らしさを教えていただきました。その影響で、今年の3月より栗原市立図書館でも、ストーリーテリング勉強会が発足しています。また、それ以前にも築館出身ということもあって、栗原市立図書館の築館町時代からも講師等でご協力いただいてきています。勉強会を始めて約半年、参加者の発表は、ちょうど一巡しました。そこで、今回、メンバーの語り(発表)を山田さんに講評していただくということになりました。前半に、第1部四人、後半に、第2部四人の内容は次の通りです。

2、語りと講評
第1部
①、「ちいちゃい、ちいちゃい」イギリスの昔話 『イギリスとアイルランドの昔話』福音館書店           
②、「おいしいおかゆ」 ドイツ/グリム『おはなしのろうそく1』東京子ども図書館                  
③、「アナンシと五」ジャマイカの昔話 『子どもに聞かせる世界の民話』実業之日本社,              
④、「梅の木村のおならじいさん」 創作/松岡享子 『くしゃみくしゃみ天の恵み』福音館書店          
第2部
⑤、「お月さまの話」創作/ニクレビチョバ 『おはなしのろうそく25』東京子ども図書館              
⑥、「おいしいおかゆ」 ドイツ/グリム『おはなしのろうそく1』東京子ども図書館                  
⑦、「雪女」 日本の昔話 『子どもに語る日本の昔話2』こぐま社                         
⑧、「ねずみじょうど」 日本の昔話 『おはなしのろうそく3』東京子ども図書館                    
 この中から私が発表した①のみを取り上げます。

(NO.23) 「ちいちゃい、ちいちゃい」
 イギリスの昔話 『イギリスとアイルランドの昔話』福音館書店  (4分)

 ちいちゃい、ちいちゃいおばあさんが、教会の墓地で骨を見つけ、家に持って帰って戸棚にしまっておくと、そこから「おれの骨を返してくれ!」と繰り返し叫ぶ声が、聞こえてくるお話です。『イギリスとアイルランドの昔話』の最初に出てくる4分ほどで終わってしまう短いもの。語り手としては、本の挿絵を見ても、とても、怖いお話とは思えず、むしろ何度も出てくる言葉「ちいちゃい、ちいちゃい」の繰り返しのおもしろさに惹きつけられるものでした。しかし、実際には子どもたちの反応は少し違っていました。私は、前に一度だけ図書館で子どもたちの前で話したことがありますが、やはり、とても怖がってくれました。そんなに怖く表現したつもりが無くてもです。(しかし、そもそも男性の声でこの話を語ること自体が、子どもにとっては怖く感じてしまいます。)それで、子どもたちが怖がるとそれに合わせて、こちらも、ついもう少し、怖くしてみようかなと思わせるものです。この作品は、語り手が、聞き手に教えられて「話の柄」がつかめるものです。

 講師の山田さんから注意されたことは、①手振り等はそちらにも子どもたちの関心が分散する、手の動きという現実に入ってしまうので、入れないほうが良い。②場所にもよりますが、よく声が通るように立って、聞き手、一人一人の目を見つめられるようにして、話した方が良い。③間(ま)のとり方については、もう少し、取った方が良い。特に最後のところは、もうすこし、溜め込んで(こうは言わなかったけれど)思いっきり力強く「もっ てきな!」と。

 <私の言い訳(ひとりごと)>

 確かに、この話は、短いけれど、語り手の力量が問われるものです。子どもたちの前で、一度は話しているので話の柄はそれなりには掴んでいました。しかし、最初からきちんと練習を繰り返しているうちに、覚えやすくするため、少し余計な手振りが入ってしまいました。立つことは、それほど大勢の前で、話してはきておらず(お話の部屋で、20人以下)、確かにここ(視聴覚室)で30人以上では、立つべきでした。間については、わかっていたつもりでした。しかし、つい練習で何度も繰り返しばかりしていて、流して練習するクセがついてしまっていて(それがあって、ほぼ内容では間違いが無かった)、トップバッターで少し上がっていたこともあり、いつもよりもテンポが少し速くなっていました。まあ、このあたりは、この話を、これから何度も子どもたちの前で語っていくことによって、克服できていくことではないかと思いました。

3、質疑応答から

<演じることと語ること>

 身振り(手振りも)で表現する(演じる)ことは、話をそこに持っていくということ。語り手自身に聞き手の注目がいってしまうのです。大切なのは、聞き手にその物語、そのお話の世界をよく伝えたかということ。確かに、語ることの中には、演技の要素は含まれます。自分の持ち味を活かすことは大切ですが、それでも、できる限り、自然な表現方法をとるように。感情移入は、どうしてもしてしまいますが、それも、そのお話を壊さない程度にすることが大切。あくまでも、そのお話の柄(絵)にあわせた額縁(語り)であるように心がけたいものです。

<お話をおぼえること>

 暗記とは違います。暗記は、「暗誦」になってしまい、「語り」にはなりません。語りは、語られるその時にお話を生き返らせる、再創造することです。それには、イメージを持ちながら覚えていくということ。言葉にイメージを載せていくこと。物語をしっかり読み込んで、場面を考えておくこと。場面、場面を、その場面ごとを覚えていくこと。そのようにして覚えて、何度も語っていけば、お話自体が持っている味を、良く醸し出したり、熟成させることができるのではないでしょうか。

<言葉の言い換え、方言について> 
 
 翻訳本の場合は、少しの部分ならば、自分の責任で言葉の言い換え、言い直しは構いません。但し、それがあまりに多くなってしまうものはどうかと思います。また、少しであっても、そこを直すとあっちも、こっちもと全体に波及することもありますのでよく注意して。昔話は、(全体としては、余計なものが削ぎ落とされた幹だけなので)日本のものであればできるだけそのままで。しかし、方言での表現は、自分がいちばん自然に話せる言葉に(部分的でも)変えても構いません。そのあたりは、小澤俊夫さんが一度、標準語に直したものを編集されていますので、そこからまた、自分に合う方言に変えられても良いかと思います。                                                           

                                                                                                   
お詫びとおことわり 

 ― 修正版に差し替えたことに関して

<「子どもの本」を語った方の氏名を記したことについて、


関係者に深くお詫びします。>
 
 
 シリーズ9のアップ直後に、間接的にクレームがきました。私が「子どもの本」を語った方の氏名を記したことについてです。このシリーズ9はそれまでのものと違って、語りの発表に対する講評を行った講習会でした。「子どもの本」の紹介をしたつもりでも、結果的にはそれを語った方への講評が、どうしてもある程度は出てくる性格のものです。しかし、語った方の氏名を出すことは必要ありませんでした。私は、意図的に語った方への批判をしたつもりはまったく有りません。しかし、結果的に、その方が不快な思いをした訳ですから、私の過ちであり、思慮が足りませんでした。このことに関して、私は、反省するとともに、関係者の方々に深くお詫びいたします。

<この間の経過と私がシリーズ9で過ちを起こした背景> 
 
 また、それとともに、今後こうしたことを起こさないようにするための方策を採ります。そのためにまず、この間の経過を説明します。

 8月の初めにこの<子どもの本シリーズ>を始めるに当たって、私は、次のように述べていました。

―「このシリーズでは、先ず、図書館での読み聞かせボランティアで取り上げた子どもの本について述べます。私が担当したものは勿論、他のメンバーが担当してものでも印象深かったものも含めます。それから、3月末から始まったストーリーテリングの勉強会に出されたものも対象にします。更に、講演会、講習会で取り上げられ本も加えます。子どもの本(対象が少し大きい年齢になることも)の評価だけでなく、その時の勉強会、講演会等の様子なども伝えることになるかもしれません。」― 

 ここからもわかるように、このシリーズは、あくまで、「子どもの本」について、私が、その本の評価をすることを目的としています。何のためにそれをするかというと、それは、おはなし会等でその「子どもの本」を取り上げてもらいたいからです。また、私としても、その「子どもの本」を記録として残したいからです。それは、現在、図書館で行っている小さい子向けの「おはなし会」等だけでなく、学校など小学生向け、大人向け等も含みます。ですから、私が関わった(自身が担当したもの、聞いたもの)ものから、肯定的に評価したもの(あるいは、私が関心を持ったもの)しか取り上げてきていません。ですから、その「子どもの本」自体について述べていることがほとんどで、それを話している、語っている「人」については様子を伝える程度。その人の評価は、(自分を除いて)書いている意識はありませんでした。このようにして、シリーズ8までは、同じような感じできました。

 ところが、シリーズ9は、その様な具合にはなりませんでした。勿論、シリーズ8までと同じように「子どもの本」については書いています。しかし、この講習会の性格上、山田さんの講評を抜かすわけには行きませんでした。それに、公開のおはなし会、図書館まつりと違って、勉強会、講演会(講習会)は、ある意味では非公開、内輪のもの。同じボランティアのメンバーと違って参加者も様々です。それに、講評には入っているけれど、「子どもの本」から離れてしまう個人の状態(個人情報ともいえる)に触れてしまったところは、記事を書いていても自分でも、実のところ、どうしようかと迷いました。(迷った時は書かないほうがいい)こうした時、シリーズ9のアップ直後に、間接的にクレームが来たのです。

 さらに言えば、問題は、シリーズ9だけでなく、それ以前から、私が「子どもの本」を語った方の氏名を記したこと自体にもあったのです。このように、問題の所在は、私の過ちにあって、私が思慮不足でした。

<今後の方策、―対象を私自身が担当したものと、

講師が取り上げたものだけに限定します。>


 こうしたことから、今後は、こうしたことが起こらないようにする方策をとることにしました。それでも、このシリーズが「子どもの本」について取り上げていく視点は、ほとんど変わりません。しかし、これからは、対象を私自身が担当したものと、講師が取り上げたものだけに限定することにしました。他の方が取り上げて、その「子どもの本」を紹介したくとも、それは今後、止めます。これまでそのようにしてきたシリーズ8までのものは、人の名前をイニシャルに変更しました(Aさん、Tさんとかに)。「子どもの本」を取り上げていても、そこにはどうしてもそれを、話した、語った「人」が出てきてしまいます。シリーズ8までの他の方が取り上げたものも、カットしようかとも思いましたが、これは今回、止めました。不統一ですが、そこまでするとバラバラになってしまいます。申し訳ありませんが、それについて、その該当する方でクレームがあれば、個別に対処させていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

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テーマ:子どもの本 - ジャンル:本・雑誌

<子どもの本シリーズ7~9>を転載します。
<子どもの本シリーズ 7>

定例のおはなし会 (10月25日)                  
                                      
 2008.10.26

 栗原市立図書館での定例のおはなし会(毎週土曜日午後2時半~3時まで)の第4班の当番が回ってきました。Hさんが風邪引きのためメニューの変更をして行いました。
① おしり さえぐさひろこ著、さとうあきら写真、アリス館
② おまたせクッキー パットハッキンス著、乾 侑美子翻訳、偕成社
③ ぼたもちばあさん 国松俊英脚本、川端 誠画、童心社
④ はらぺこねこ 北欧民話、木村由利子著、スズキコージ(イラスト)
 ①と②を司書の中村さんが、③と④を私が担当しました。この中から、②と③を紹介します。

(NO.19)おまたせクッキー 
 パットハッキンス著、乾 侑美子翻訳、偕成社
 関連するリンク先― アマゾン おまたせクッキー

 お母さんが「おばあちゃんほど上手にクッキーを作る人はいないわよ」と言いながら12個のクッキー焼きます。それを食べようとするたびにドアベルが鳴り、人が増えてクッキーの分け前が減っていくお話です。最初は、その家の子どもの2人で2ですから、12÷2=6でしたが、友達が2人きて4人になったので、これで、12÷4=3に。次が、12÷6=2。それから10人になって、12÷10=1…2。という風にいつの間にか算数の計算をさせられてしまっていました。さて、その次に誰かが来たらどうなってしまうのかと心配していると。最後はサプライズです。本当におばあちゃんが大量のクッキーを持って訪れます。それで、みんなひと安心。みんなで分け合って食べることは楽しいことです。読んでいてもホッとして幸せな気分になれる絵本です。パットハッキンスのこの作品も、NO.15の「ベーコンわすれちゃだめよ」と同様に、「ティッチ」の系統の「ティッチ」以後の同時期のものです。担当の司書のNさんは、大変落ち着いて上手に読まれていました。

(NO.20)ぼたもちばあさん 
 国松俊英脚本、川端 誠画、童心社
 関連するリンク先― 国松俊英Web

  ばあさんが、近所の人からぼたもちを、10個もらいます。よくばりなばあさんは、重箱に入れたぼたもちに向かって、「よめさんがおまえらを食べようとしたらな、カエルになれ」と言い聞かせ、お寺へ出かけます。それを見ていたよめさんは、ばあさんがいなくなるとさっそく重箱をあけ、「ひとつぐらいええやろ」とぼたもちを食べますが、おいしいのでもう一つ、もう一つ、と、ついに全部食べてしまいます。困ったよめさんは、たんぼでカエルを10匹つかまえて重箱に入れておきます。やがて帰ってきたばあさんが重箱をあけると、ぴょーんとカエルが飛び出すからびっくり。「こら、ぼたもちカエル、はようぼたもちにもどれ。わしはばあさんやで」などと追いかけ回しますが、カエルは座敷中をとびはねて、たんぼへ逃げていきます。ばあさんは、本物のカエルに向かって、「そんなにとんだらあかん。あんこが落ちるやないか」と…

 このような内容の紙芝居です。脚本の国松俊英氏は動物画家というイメージを持っていましたが、児童文学全般にわたって活躍されていると認識を改めました。<子どもの本シリーズ2>で取り上げた7月27日の常盤 洋美氏の紙芝居を使っての実演に触発されて図書館にある紙芝居の活用を始めました。そこで見つけたのが川端 誠氏の画によるもの。落語絵本などは、おはなし会で数多く読んできていますが、紙芝居もわかりやすくて、親しみの持てる画で、私は好きです。10月19日の図書館まつりでは、「へっこきよめ」を取り上げましたが、この作品も同時に準備していたものです。

 同じ内容の絵本はまだ見つけていませんが、このお話は滋賀県出身の国松氏の関西弁で書かれていていました。しかし、内容も会話で「いけず」と言う表現があってもその後の文章では「いじわるをされて」とわかりやすく言い直されていました。そこで、私は、ゆっくりとこの関西弁を充分にこなせるように、何度も繰り返し練習をして、この関西弁はそのまま表現しました。一ヶ所だけ修正をしました。最後の結びの句がなくてただ、(おわり)とだけ書かれていました。そこで、最後に、「ほんで しまい」と言っておしまいにしました。日本昔話百選(稲田浩二・和子編著 三省堂)では、「ぼたもち蛙」として新潟県西蒲原郡の話を伝えています。同様の話が各地にあると思われますが、ここでの解説に「笑われ者のピエロに姑や和尚がなる。姑となった語り婆(ばさ)も嫁に来た頃を思い出してクツクツ笑いながら語ってくれる。…」とありましたので紹介しておきます。




<子どもの本シリーズ 8 >

10月のストーリーテリング勉強会 (10月26日)                 
                                      
 2008.10.27

 この日の発表者は5人でした。
① I さんの「三枚のお札」 おはなしのろうそく5(東京子ども図書館)
② S さんの「あなのはなし」 おはなしのろうそく4(東京子ども図書館)
③ T さんの「おいしいおかゆ」 おはなしのろうそく1(東京子ども図書館)
④ A さんの「あなのはなし」 おはなしのろうそく4(東京子ども図書館)
⑤ T(男性)さんの「星の銀貨」 グリム童話
 この中から、②④と⑤を取り上げます。

(NO.21) あなのはなし 
 ミラン・マラリーク作、間崎ルリ子訳 おはなしのろうそく4(東京子ども図書館編)

あらすじーあるところに、あなの開いた靴下があった。そのあなは、どんどん大きくなって、靴下を飲み込んでしまった。あなは、ぶらりと外へ出かけていく。途中で、ドーナツ、かえる、つばめ、ひつじに会い、一緒に歩いていく。やがて、大きな森にやってきて、その夜は一軒の小屋に泊まることになる。ところが、夜中、おおかみがやってきて、ドーナツやかえるをどんどん「パクリ!」と飲み込んでしまった。とうとう最後に、あなまで飲み込んでしまった。ところが、あながおおかみのお腹に入ると、おおかみのお腹に、あなが開いてしまいました。そのあなから、ひつじ、つばめ、かえる、ドーナツが外へ這い出しました。あなは、どんどん大きくなって、すっかり、おおかみを飲み込んでしまいました。

 こうした奇想天外で、聞き手の意表をついた内容のお話です。繰り返しが多く、リズムよく話ができます。森の小屋に入ってから、話の流れが変わりますので、上手く場面の切り換えをすることが、腕の見せ所です。勉強会では、たまたま二人もこのお話を選んでいました。比較しながらも二度聞くと、より深くお話を味わうことができました。5分程度で、小さな子に向く、とても愉快な創作のお話でした。

(NO.22) 星の銀貨 
 グリム童話 

あらすじーむかし、あるところにたいそう貧しい少女がいた。彼女の両親は亡くなってしまい、住むところも食べるものも着るものも無かった。親切な人からもらったひとかけらのパンと彼女が着ている服だけが彼女に残された唯一のものであった。しかし、彼女はとても良い心の持ち主だった。彼女が道を歩いていると、おなかを空かせた男に出会う。彼女はためらいもなく男にパンを渡し、また歩き出す。今度は寒がっている子どもに出会う。彼女は親切に着ているオーバーを差し出し、また歩き出す。すると、また別の寒がっている子どもに出会う。彼女は着ているスカートを子どもに与え、歩き出す。そうしているとまた別の子どもが現れ、彼女に唯一残されたシャツを欲しがる。彼女はシャツもその子どもにあげてしまう。やがて、着るものも食べるものも失ってしまった彼女がその場にたっていると、星が彼女のもとに降ってくる。彼女の行いを神がほめたためだった。降ってきた星は銀貨となり、少女はいつの間にか新しいシャツを着ていて、拾い集めた銀貨で裕福に暮らしたのだった。  

 勉強会でこの作品の素話を聞いた時、すぐにはグリム童話だとはわかりませんでした。私には、グリム童話は結構、残酷なものが多いという印象があるのですが、これはまったく違うメルヘンな作品です。グリム童話は何人もの方が翻訳されています。彼の使った本は、どれかはまだ特定できていません。細かいことですが、少女が与えていく服の種類が本によって違ってくるのです。また、この話、昔の翻訳ではドイツ語 「ダ・シュテルン・ターラ」 のタイトルが「星の金貨」となっています。ダ・シュテルンは「星」、・ターラは、当時のお金の名前だそうです。この物語ができた当時、金貨はまだなく、銀・銅で硬貨は作られていたそうで、結局、その後、「星の銀貨」に落ち着いたようです。

 話し手のTさんは、今回が初めてということで、4ヶ月前より準備を始め、1ヶ月前には一応、出来上がったがったという、力の入れようでした。「フレーズ毎に、間を多く取るようにした」そうで、とても丁寧に話され、独特の世界作っていました。ただ、勉強会のように大人対象では良いのですが、子ども向きにはなっていないと感じられました。後で調べても、この作品は大人向きに拡がっていることがわかりました。大人向きのビジュアル絵本が出ています。さらに、1995年より続編も含めて何度も作られたテレビドラマの「星の金貨」は、この「星の銀貨」をモチーフにして作られたものといっていいと思います。私自身は、最初のものしか見ていません。確か、「無償の愛」がテーマの一つになっていて、最終回のラストシーンは、見上げると、満天の星…空から金貨が降ってくるのが、見えるような感じだったと思います。





<子どもの本シリーズ6> を転載します。
<子どもの本 シリーズ6>

第5回 図書館まつり おはなし会大集合                 

                                    2008.10.19

 恒例の図書館まつりが今年も開かれました。図書館ができて、10年ですが図書館まつりはその途中からです。築館町時代に1回、市になって4回で、すっかり定着してきました。9時30分からの「本のリサイクルフェア」には大勢の市民が詰めかけ、私が到着した9時45分には、両手に紙袋を抱えた方々が出てくるところでした。10時からの「おはなし会大集合」の少し前に私も新書など5冊をゲットしました。私の出番は午後ですが、図書館まつりは、この他、「しおりづくり」、「図書館名人養成講座」、映画会などがあいました。「おはなし会大集合」は、市になってからで、今年で3回目。市内各地でおはなし会等をしているグループ(その内の都合のつくところ)が参加します。今回は4グループでした。ここでは、その中から、私たちのグループ「ひなたぼっこ」のものを中心にいくつか紹介します。

おはなしポケット(栗駒)

(NO.14) 「いつもいっしょに」 
文/こんのひとみ 絵/井本蓉子 金の星社
関連するリンク先ーアマゾン いつもいっしょに

 森の中に住むひとりぼっちのクマがいました。あるひ…トン!トン!トン!トン!誰かが扉を叩きます。クマが扉を開けると、ウサギが寒そうにたっていました。ウサギのためにクマは一生懸命に世話をやきます。でも、ウサギは何もいいません。ついにクマは「その一言」を口にしてしまいます。「たいせつな人と読んで欲しい一冊」 と帯に書かれている「あなたがいるだけで私はしあわせ」といったことに気づかせてくれる絵本です。絵も内容もとても優しく、暖かい感じの絵本です。話し手の方がとても上手に、情感たっぷりに話されていました。

 ただ、私は、何故ウサギが最後まで声を発しなかったのかがイマイチ理解できませんでした。クマの問いかけに(夢の中か?)ウサギは涙を浮かべていたので、クマの思いはしっかり伝わっています。では、何故?ここに、私は、声が出せない訳、障害とか病気とかを考えてしまいました。実際にはどうなのかはこの絵本だけではわかりません。そうしたことが、例えあったとしても「あなたがいるだけで私はしあわせ」というメッセージは充分に伝わってきました。

(NO.15) 「ベーコンわすれちゃだめよ」 
作絵/パット・ハッチンス 訳/わたなべしげお 偕成社
関連するリンク先ーアマゾン ベーコンわすれちゃだめよ


 お母さんに頼まれておつかいに行くことになった男の子が、おつかいを暗唱しながら歩いていくうちに、だんだんうろ覚えになっていって、ムチャクチャな買い物をしてしまう…」というストーリーです。買ってくるものは、「うみたてたまごが6こと おちゃにいただくケーキと なしをひとやま」。そして、忘れちゃだめなのが「ベーコン」。これを、忘れないようにつぶやきながら歩いていくのですが、目に入ってくるのは女の人の立派な足を見て「生みたて卵」が「太い大根」に変わってしまいます。なし(英語でペア)が椅子(英語でチェア)に変わってしまうのは英語の言葉遊びなのですが、これは子どもには分からないと思いました。パット・ハッチンスの「テッチ」の主人公の子どもを少し大きくしたよう男の子がとても面白いです。その間違えっぷりは爆笑ものです。これも話し手は、「とてもこの話が大好き」という様子で話されていてとても感じが良かったです。

 このグループは、他に「ともだちや」と「さる・るるる」の2冊を。手遊びでは、「おべんとうばこ」のサンドイッチのバージョンを上手にされていました。

おはなしたまてばこ(鴬沢)

 このグループは、「おーい、みえるかい」、「さつまのおいも」、「しずくのぼうけん」、の3冊の絵本と「だんごむしのころちゃん」という紙芝居でした。

ろうどくボランティアこすもす(金成)

 このグループからが午後からでした。初めに帽子と手袋人形の子猫の手遊びをしました。その後、パネルと指人形等を使って「ききみみずきん」を。最後が人形を使っての「三匹の子ぶた」でした。ただ、これらについて詳しい批評はしません。絵本、本と関連づけていない、お話の内容が充分に吟味されていない等、問題点を多く感じました。

ひなたぼっこ(築館)

(NO.16) 「やまこえ、のこえ、かわこえて」 
作絵/こいでやすこ 福音館書店
関連するリンク先ーアマゾン やまこえのこえかわこえて


 満月の夜遅く、きつねのきっこは山こえ野こえ川こえて、町まで買い物に出かけます。途中、お月さまとふくろうといたちがお供になりました。町のお豆腐屋さんできっこは、「油揚げ、100枚下さいな!」といって、おまけに10枚足してもらった110枚の油揚げ持って帰りました。その帰り道、闇の中から怖い声が「油揚げ100枚おいていけ!」とおどします。何度も、お供に助けられて、きっこは無事油揚げを無事、持って帰ることができました。そして、それでいなり寿司を沢山作り、お祭りで皆に振舞い、喜ばれたという、きっこが活躍するお話です。怖い声の正体は影形で考えるのがクイズのようで、最後に正解が分かるようになっているのもとても良いと思いました。リズミカルな言葉、巧みなおはなしの展開、優しくやわらかい絵とで、秋にぴったりの素敵で、楽しい絵本になっています。

 この絵本の担当は、メンバーのHさん。彼女の優しい声がこの絵本には、とてもぴったりでした。

(NO.17) 「ぼくにげちゃうよ」 
作/マーガレット・W・ブラウン 絵/クレメント・ハード 訳/いわたみみ ほるぷ出版
関連するリンク先ーアマゾン ぼくにげちゃうよ


 子うさぎと母さんうさぎのお話です。子うさぎは家を出てどこかに行ってみたくなり、母さんうさぎに「ぼく、逃げちゃうよ」と話すと、母さんうさぎは「おまえが逃げたら、母さんは追いかけますよ。だって、おまえはとってもかわいいわたしのぼうやだもの」と答えました。「母さんが追いかけてきたら、ぼくは魚になって泳いでいっちゃうよ」と子うさぎ。すると、母さんうさぎは「おまえが小川の魚になるのなら、母さんは漁師になって、おまえをつり上げてあげますよ」と答えました。その後、子うさぎと母さんうさぎがいろいろなものに変身して登場します。子うさぎが想像の中でどんなに逃げても、母さんうさぎは子うさぎを納得させる答えで追いかけて大きな愛を証明していきます。

 この追いかけっこのような子うさぎと母さんうさぎの会話がほほ笑ましい絵本です。愛されているからこそ、そこから逃げたい、でも最後には、やっぱり安心できる場所に戻りたい―という、そんな子どもの心理が、よく描かれている絵本です。

 担当は、メンバーのTさん。午前の部の「おはなし会大集合」を私と一緒に聞いた後、二人でリハーサルをしました。大型絵本ですから、私がページをめくる補助をすることにしました。子どもの反応をどう確認して進めるかも打ち合わせをしました。自宅でするだけでなく、実際の場所で練習することが大事だとよく分かりました。本番でも、彼女は、しっかりと出来ていました。また、一緒に準備から本番までしてみて、彼女は、この作品が、本当に好きなんだなということもわかりました。

(NO.18) 「へっこきよめ」 
作/香山美子 絵/川端 誠 教育画劇
関連するリンク先ー日本のユーモア民話 へっこきよめ
 

 大きな大きなおならでおばあさんをふっ飛ばしてしまったお嫁さんのお話です。こんな嫁さまは、いくら器量よしでもだめだねということで息子はお嫁さんを郷へ帰そうと送っていきました。道の途中で、風で倒れた大きな木を起こそうとしている村人達に出会いました。お嫁さんは、「ちょっくら、おらがやってみるべ」とおならをすると、倒れた木がおきあがって、元の姿に戻りました。そのまた先で、浅瀬につかえている船にであい、またまた先で、梨を食べたいお殿様に出会いました。それぞれをおならで助けると、お礼をたくさんいただいてしまいました。「たからもののようなよめっこだ。」と息子は大事におよめさんを家に連れて帰り、おばあさんと三人でなかよく暮らしました。という内容のお話です。

 「へっぷりよめ」「へこきよめさま」などなど、様々なよびかたがされていますが、日本中に同じようなお話があるようです。子どもから年寄りまで年齢に関係なく、人気のあるお話で、とても話のしやすい文章と、このわかりやすく民話にぴったりの絵が、よくよくあっていて、とても楽しめる紙芝居になっています。絵本では、文/大川悦正 絵/太田大八の「 へっこきあねさがよめにきて」が、私は、大好きです。こちらの方は、母屋とは別に「へや」(部屋)という、嫁さんが「へをこく」離れを建てたというオチがついていますが、こちらのほうが一般的のようです。日本昔話百選(稲田浩二・和子編著 三省堂)によると「そのお手柄を嫁に与えたのは、礼儀作法で女をしばろうとする者への反発であろう。」としています。このお話は、ただ面白いだけではなく、「この民話をはぐくんだ日本の農民たちの生活と、そのおおどかさ、(おおらかさーの間違い?)ずぶとさまで…」(大川悦正のあとがき)があるように、私にも思えます。

 自宅では、手製の紙芝居の箱で、何回も練習しましたが、どうもしっくりいきませんでした。7月27日の読み聞かせ講座①で講師の常盤 洋美(ときわ ひろみ)氏の紙芝居の実演を見て、自分なりに紙芝居の把握は一応できたと思いました。そして、今日の午前中、鴬沢のグループがした紙芝居の実演を見ていて、その問題点の把握もできました。そこで、前述のTさんとの二人でのリハーサル、実演となったわけです。その結果、私の方も、何とかしっかりと本番もできたと思いました。注意した点は、紙のめくり方、そのタイミング、話す時の顔の位置、(口の位置、目線、)子どもたちの反応の見方、それに合わせた進行の仕方等です。この作品自体がとても紙芝居の特性を生かしたものになっているため実演もこれらの注意を充分してすることができました。


 
<子どもの本シリーズ>等を転載します。
<子どもの本シリーズ>等を転載します。     2008.9.29

 会の代表、佐藤茂雄の個人的ブログー「触媒生活」 触媒生活 では、今年の8月5日から9月29日まで<子どもの本シリーズ>として、NO.1~NO.5までを記事にしてアップしています。また、それらに先駆けて、同じく今年、1月13日には、絵本「RAPUNZEL」 について記事として取り上げています。これらは、「図書館をもっと大きく育てる会(栗原市)」の活動とも関連が大変深いです。そこで、今回これらをまとめてこの「本のあるくりはら」に、転載することとしました。




<子どもの本 シリーズ1>

 この間の「読み聞かせ」と様々な勉強会。      
                                
                     2008.8.5PM

 このシリーズでは、先ず、図書館での読み聞かせボランティアで取り上げた子どもの本について述べます。私が担当したものは勿論、他のメンバーが担当してものでも印象深かったものも含めます。それから、3月末から始まったストリーテリングの勉強会に出されたものも対象にします。更に、講演会、講習会で取り上げられ本も加えます。子どもの本(対象が少し大きい年齢になることも)の評価だけでなく、その時の勉強会、講演会等の様子なども伝えることになるかもしれません。あまり以前にまで遡っても何ですからとりあえず、1週間~10日位まで前のものを含めることとします。

NO.1 「葉っぱのフレディーいのちの旅」
   作/レオ・パスカーリア 絵/島田 光雄 訳/みらい なな 童話屋 1998年

 いきなり最初から子どもの本としては「?」の付く本になります。前にも少し紹介しましたが、3月の第4週目の日曜AMより始まった「ストリーテリング勉強会」の7月例会が7月27日に持たれました。先月、私はうかつにも第4を月末と勘違いしていて不参加でした。(今月も東京に行っているので不参加。)毎回2~3人は演者がいるのですが、当日は築館のSさんの一人だけでした。それも何を取り上げるのか知らされておらず、(本人曰く「サプライズさせたかった。当日までに間に合うかどうかの不安も…」)正直言って、これを取り上げられたのには驚きました。

 私自身、図書館でこの本を借りて見たことはありました。それに、確か少し以前、この図書館で私と同じボランティアのメンバーであり、演劇もしている実力派の男性―Kさんが、子どもたちの前で、読み聞かせでしたが取り上げたことがありました。それが、とても上手で印象深いものがありました。それに、高齢の医師であり沢山の著作のある日野原 重明先生が子ども向けだったと思いますが、ミュージカルに作り直して各地で演じていることも知っていました。それを、果たして、言葉だけでどのように伝えるのだろうかと先ず、考えてしまいました。
 それでもSさんは、この日の勉強会に出席している十数名の参加者の前で堂々と、自信を持って演じられました。時間は13分程かかりました。途中で少し詰まりカンペを一度だけ見ましたがほぼ完璧に出来ていたと思います。ただ、終わってからの批評会で他の方も言っていましたが、事象の推移ではなく、特に哲学的な表現の文章のところは、もっとゆっくり話したほうが良いのではと思いました。立ったままで、少し目線は、上を向いての表現は、彼女のこだわりもありましたが、この作品に関してはそれでいいのではないかという私も含め参加者の評価でした。

 彼女は、日本語に訳されたこの本の表現に疑問を持ったところが何箇所かあって、原本を取り寄せたということでそれを見せていただきました。それで、自分なりに何箇所か表現を変えたということでした。そこで、彼女からアドリブではどうなのか?表現を変えてもいいのか?という問いが出されました。私は、このブログのBOOKSで取り上げている「ラプンツェル」の経験から「アドリブはダメで、翻訳したものに関してどうしても納得がいかないのなら演じ手本人の責任で一貫したものを表現すべきではないか」と答えました。この本の原本を見ると写真だけでイラストがありませんでした。文章に立ち入ってそこで検討はできませんでした。今、この記事を書くに際してネットで調べると、1995年に三木 卓氏の訳で一度目の(写真だけの)原本の日本語訳が出ていること。4年後に出した二度目のこの本は110万部のベストセラーとなったこと。この日本語訳と二つの本に関しても色々と判ってきました。 (例えばー 「葉っぱのフレディ」をめぐって 、 葉っぱのフレディ全般、 葉っぱのフレディ ミュージカル を参照のこと) 私自身は、原本よりも二度目のものの方が、その体裁からこの本の内容には合っていると思いましたし、(訳は?)なるほど、ベストセラーになると合点がいきました。

 それでも、この作品は、私たちが日ごろ「おはなし会」で対象にしている子どもたちには、少し、難しすぎると参加者一同、考えが一致しました。(特に哲学的なところが…)私の言った意見ですが、だからこそ、「日野原先生は、子どもにもわかりやすく、生の大切さ伝えるために、ミュージカルに作り直したのだ。」と思います。ただ、この勉強会では、子ども向けだけでなく色々なことにチャレンジしようということになっているので、Eさんの取り組みは皆さんから好評でした。



<子どもの本 シリーズ2>                        
                     2008.8.5PM(夜)

NO.2 紙芝居「でんしゃがくるよ」
      作・絵/とよた かずひこ 童心社 2001年

NO.3 紙芝居「おじいさんのできること」 この作品の紹介
      作・絵/ときわ ひろみ 1983年

 同じく7月27日のその午後、図書館主催で開催された平成20年度 読み聞かせ講座①で講師の常盤 洋美(ときわ ひろみ)氏が「こころをひらく紙芝居 ~文庫活動・実践から~」ということで実演・紹介した作品から二点を取り上げます。

 その前に、講師と講演の内容を少し紹介します。ときわ氏は「みやぎ紙芝居の会」主宰の紙芝居作家。福岡県生まれ。1983年『おじいさんのできること』で橋五山賞特別賞を受賞。自宅で文庫を開いて子どもたちに本を手渡すかたわら、紙芝居のオリジナル作品を創作されています。
 講演では、「紙芝居の演じ方」として、先ず強調されたことは、「体全体で言葉を喋る芝居と違い、紙芝居は、口だけ、首から上で演じること。」ということです。そして、「常日頃、人の観察をすること。それによって、紙芝居を演じることを通じて人間を演じること。」と指摘されました。

 さらに、紙芝居を演じる上で大切なことして、①「声」についてー声の高低、細い、太い、強弱の変化を利用して(実際に、参加者に遠い、近い、などの課題を出して声を出してもらいました。)しかも、大げさにはしない。絵があるから普通にやること。「演じ手の顔を注視されてはダメ。」と言われました。しかも、「紙芝居のセリフの部分を言うだけでなく、絵の地の部分も演じること。」ということでした。(さらに私が彼女を観察したところ、目は聴衆の方を絶えず見ていて、口元は紙芝居の舞台の開けた扉で隠していました。)

 ②「間」と「抜き」が大切として、NO.2の「でんしゃがくるよ」を取り上げていました。この作品は2歳前後の特に男の子が何度も集中するものだそうです。平均で一回の講演で3回は繰り返す(MAXは6回)そうです。それが3~4歳になったとたんに1回位しかもたないそうです。話の途中にかなり長く「間」を取るところがあり、多分、そこがもつのか、もたないのか違いなのだろうか。(8月2日の図書館のお話会の毎月の打ち合わせ・勉強会で、この講演を聴いてない方もいたので、私がぶっつけ本番で実演してみました。それでも、自分自身で子どもたちの前で実演してみるしかないと思いました。)「抜く」についても「さっと抜く」、「抜きながら」とか話に沿った抜き方がこの作品でもあるし、別の作品 仙人のおくりもの で説明されていました。

 この他にも、「たぬきのきつね」内田燐太郎作や、「父のかお、母のかお」が紹介・実演されましたが、NO.3の「おじいさんのできること」が一番印象的でした。25年前の彼女自身の作品で古い図書館にはあるけれど、もう入手困難だそうです。フォーランド紛争があった頃、何気なく子どもに大人の責任を問いかけられて、反核のメッセージ性があるこの作品ができたそうです。参加型の紙芝居ともいうべき珍しいものです。登場するのは、おじいさんとおばあさん、など普通の人々の89人と一匹。途中から巻物のようになっているため、どんどん参加してもらって紙芝居を広げていかなくてはなりません。7~10人は必要です。私の感想ですが、子どもだけなら小学生以上、(できれば先生もいて)もっと小さい子には、親と一緒が良いのではないかと思いました。その他、青年、大人の平和、教育などの課題での会合、集会等で実演すべきものではないかと思いました。8月2日の打ち合わせ・勉強会でも紹介したところ、何とか、図書館で入手してもらおうということになりました。





<子どもの本 シリーズ3>                   
                   2008.8.6PM(夜)


NO.4 「どうする どうする あなのなか」(日本傑作絵本シリーズ)
  著/きむら ゆういち 著/高畠 純 福音館書店 2008年

NO.5 「くんちゃんのもりのキャンプ」  
 作/ドロシー・マリノ 訳/まるえ るりこ ペンギン社 1983年

 今日と明日の二日間で、続けて4作品紹介します。8月1日と2日の午後2時半~3時に図書館の2F大研修室で、子どもの本の展示会(7月26日~8月3日)の会場一角で「ちいさなおはなし会」として行われたものです。NO.4~NO.6を私が担当したもの。NO.7をHさんが担当したものです。

 NO.4の 「どうする どうする あなのなか」。

 この本は、今年の6月19日発刊となっていますから、まだ出たてほやほやのもの。2日の方が毎月の当番でもあり、「くんちゃん…」は早くから決めていたものです。その一週間位前に、図書館からのFAX連絡がありました。毎年している子どもの本展示会でのお話会の当番表がまだ、だいぶ空いていたため、1日を急きょ入れました。それで7月27日、この日は、AMとPMと、2回も図書館に出向くことになったのですが、この日に急きょ本を探すことになりました。児童向けのコーナーで、書棚の上の絵本の表紙が見えるようにする展示棚に、この本がいくつもの絵本と共に置いてありました。縦長にして見るという変わったもので、ちらっと見ただけでも絵もストーリーもとても印象的で直ぐに候補に決めました。それと、念のためにもう一冊何かと思い、私の好きな「くんちゃんシリーズ」からNO.5を選んでこの2冊をボランティア枠(通常の個人の貸出はここではまだ5冊2週間と少ないのですが、お話会専用のカードでは無制限となります。)で借りました。1日の当日、実際にこの本を子どもたちに読み聞かせたら、大変好評でした。

 のねずみ3匹とやまねこの夫婦2匹が穴の中に落ちてしまいます。そこからどう逃れるかを、のねずみは、食われてしまう心配と、やまねこは、食いたいけれどそれより先に助かりたいとの思いの中で作戦会議を延々としていくという可笑しくて、楽しいお話です。子どもの中に、怖い話がいやな子がいて、その子のおばあさんが(歳はまだ若い)聞いてきたので事前に簡単に「大丈夫ですよ。ハーピーエンドですから。」とだけ伝えて一緒に聞いていただき楽しんでもらいました。付け足しですが次のNO.5を読む合間に、手遊び「一匹のノネズミが…」を私が担当してしました。

NO.5の「くんちゃんのもりのキャンプ」。

 私は、このドロシー・マリノ作の「くんちゃんシリーズ」が大好きです。絵は、白黒のモノクロに単色を加えた落ち着いたもので、温かい感じがします。自宅の文庫にこのシリーズを何冊か持っていますが、就学前後の子どもたちには「くんちゃんのはじめてのがっこう」を読み聞かせするのが定番になっていました。妻もよく一年生の担任になるとこれを持ち出していきます。ところが、だいぶ以前、これを私が、図書館で読み聞かせを行ったのですがイマイチ、子どもの反応が良くありませんでした。多分、子どもたちの年齢層が幼児~年長さん位だったからだと思います。そんなことがあって、暫く、図書館での「くんちゃんシリーズ」の読み聞かせは封印してきました。しかし、時期的にピッタリのこの本を、一応予備として準備していきました。当日直前の一緒に担当する司書さんとの打ち合わせで、私が2本することになり、この「くんちゃんのもりのキャンプ」もすることになってしまいました。当日集まっていたのはやはり同じ年齢層でした。上手くいくかなと心配でしたが、全くの杞憂でした。

 お話は、くんちゃんが、友達のアレックと一緒に森に一泊のキャンプに行って帰ってくるというものです。くちゃんは初心者、アレックは少し経験アリ。くんちゃんは森で様々な動物に出会い、会話しながら彼らのしていることを観察して自分も同じようにしようとします。でも失敗します。一方アレックは、クマらしいやり方で上手くやります。結局、くんちゃんはアレックと同じようにします。そうして学びます。でも、帰り道はアレックの方が間違えてしまいます。くんちゃんは、行きに出会った動物たちと会える場所をちゃんと覚えていたのです。その動物たちに、くんちゃんはアレックに教わったことを報告するのです。そうしながら二人は、無事におとうさんとおかあさんの元に帰ってきました。このように、くんちゃんが周りとの関係を持ちながら、失敗しながらも、成長していく姿がほのぼのと描かれています。友達のアレックとの関係、やり取りも、私には、面白くてしかたがありません。それに基本的に子どもを信頼して、遠くから見守っている親の存在もいいですね。

 今回は、子どもたちの反応は良かったです。くんちゃんか、アレックのどちらかに自分を置き換えて(アレックだったら、「クマだったらそんなこと、あたりまえだろ…」みたいに)その目線で聞いているのだろうなと思いました。一緒に聞いていた親にも好評だったと思います。
「どうする どうする あなのなか」「くんちゃんのもりのキャンプ」





<子どもの本 シリーズ4>                  

                         2008.8.7PM

NO.6  「ぼくのだ!わたしのよ!3びきのけんかずきのかえるのはなし」 
   作/レオ・レオニ 訳/谷川俊太郎 好学社 1989年

NO.7     「おかえし」  

 作/村山 桂子 絵/織茂 恭子 福音館書店 1989年

NO.6の 「ぼくのだ!わたしのよ!3びきのけんかずきのかえるのはなし」。

 作者のレオ・レオニは、私の大好きな絵本作家の一人です。イラストレーター、グラフィックデザイナーでもある彼の絵は、切り絵や押絵の手法等を用い、洗練されているため子どもにも判りやすいのです。同じく切り絵を多く用いるエリックカールも悪くはないのですが(好きな方ですが)レオ・レオニの方が何かもう少し温かみを感じるためか大好きです。それに彼の作品は、どれもメッセージ・テーマがはっきりとしています。1959年のデビュー作「あおくんときいろちゃん」(日本では1967年に)は、自分の二人の子どもが幼いころに読み聞かせを始め出したばかりの頃に出会った作品。その色彩感覚と個性・独自性と交じり合う・混合の両方の大切さを子どもたちに分かりやすく教えることができました。他にも教科書にも載って有名な「スイミー」や私が一番好きな「フレデリック」など数多くの作品があります。

 この作品は、1989年初版(日本で)ですから比較的晩年のものだと思います。(1999年に死去。)私の妻は(定年までの)最後の年のこの4月、2年生を受け持つことになりました。これまでも特に低学年では毎日のように「読み聞かせ」をしてきていますが、今回は、「道徳」の研究授業の題材に、(彼女は、ありきたりないわゆる「道徳」など教えない)絵本を用いたいので何か良いものはないかと相談を受けました。そこでレオ・レオニの作品ならいくつか該当するものが見つかる筈とアドバイスしました。私も丁度、図書館での読み聞かせ向きの絵本を探していたので自宅にある何冊かと図書館から借りてきた数冊を提示しました。その中から彼女が選んだのがこの作品でした。

 お話は、三匹のケンカずきなかえるのはなし。(これではタイトルと同じか)三匹は、朝から晩までケンカばかりしていました。ある日、滝のような雨が降ってきて池が水で溢れかえりました。三匹は、島や石に必死にしがみつき続け、最後にひとつの岩に三匹が一緒にしがみついて助かりました。そして、その岩だと思っていたのは実は…という様な内容です。一人一人が自己を押し出して「所有」を主張するのではなく、共に皆にとって大切なものは、分かち合うこと、「共有」することの大切さ、素晴らしさをこの作品は、教えてくれます。

 とは言っても、これがその深いところまで子どもたちに直ぐに理解できるかとなると、ちょっと無理かもしれません。妻の研究授業の方が先でしたので、感想を聞きました。「事前に少し、子どもたちとの話し合いを持っても、当日の研究授業では充分に到達できなかった。」とのことでした。まして図書館では、もう少し年齢が低く、しかも、終わってから感想を出したりしないのですから、始める前からちょっと不安になりました。しかも、8月2日当日は、トップバッターとなりました。私は二日連続ですが、子どもも、昨日きていた子がいました。「ケンカのはなし」と聞いただけで子どもたちは、直ぐ食いついてきました。これは、「到達目標のレベルを少し下げて、そこへ最後上手く持ってく他ないな」と思いました。つまり、ゆっくりと分かりやすく言葉を話し、特に最後に三匹の「分かち合う」ところを丁寧に、満足感の出るよう表現することに気を付けました。最後の最後に一言。「三匹が、ケンカしなくなってよかったね。」を加えました。

NO.7 「おかえし」

 これは、当日私の次にメンバーのHさんが取り上げた作品です。始まる少し前の打ち合わせで、初めて私は、この作品を見ました。「やっやっ これは…」という感じで、ペらぺらページをめくって行くと、もしかしてこの次にと話の展開の予想を立ててしまいました。(ほぼ、合っていましたけれど…)

 さて、お話は、タヌキの家の隣に引っ越してきたキツネがいちごを持って挨拶に行きました。すると、今度は、タヌキがおかえしを持って…  とタヌキとキツネのおかえし合戦はどんどんエスカレートしていきます。最後におかえしするものがなくなって…  途中に出てくる同じフレーズ「ほんのつまらないものですが…」が可笑しくて、「つまんないわけないだろう!」とツッコミを入れたくなるものもありました。それに「おかえしの おかえしの おかえしの … … 」と何回もどんどんフレーズが重なっていってしまいます。(8~9回位までいったのか?)読み手は、まだ若い女性。その辺りにいるような主婦どうしの会話(タヌキとキツネですが)が、それを誇張して面白可笑しくしている訳でもないのに聞いている方は、可笑しくてたまりません。とても私には出来そうにありません。一緒に聞いていたお母さん方は、心当たりがあるのか、苦笑いをしていました。子どもたちには、勿論、大受けでした。

 しかし、この絵本、タヌキとキツネのお父さんが出てきません。どうしてしまったのかな?「もしも、話が終わった後に両方の家に帰ってきたら、これではまずいのでは…」とか、「今どき、母子家庭も多いことだし…」「タヌキとキツネのオスは子育てしないんだっけ?」などと思ってしまうのは、私が男だからでしょうか。?!




<子どもの本 シリーズ5>

 読み聞かせ講習会②、

川端英子さんのおはなし
 
 
                                        2008.9.29


 9月27日、栗原市立図書館2F視聴覚室で、私も良く存じている川端英子さんを講師に迎えて「読み聞かせ講習会②」が開催されました。ストリーテリングの勉強会に参加している方々を中心として、市内から30人(越えていたか?)程のたくさんの参加者がありました。日本の昔話、イラン、ドイツのはなし等、6話の素晴らしい素話を、1時間連続して聞かせていただきました。そのあと30分程の質疑応答があり、ストリーテリングの勉強会参加メンバーにとって、たくさん貴重な収穫のある講習会となりました。

1、講師紹介

 川端英子(かわばた ひでこ)氏 (仙台市) 「のぞみ文庫」主宰

 1970年に自宅で「のぞみ文庫」を開く。週1回の文庫活動をはじめ子どもと本をつなぐ様々な活動を続けながら、幼稚園や学校、図書館など県内外に出向き、絵本やおはなしなどの実績・講演も行っている。(ここまでは、栗原市教委・図書館の説明です。)
 川端さんは、私も会員になっている「仙台にもっと図書館をつくる会」の代表です。築館にも図書館で行われた1998年11月の「図書館をもっと大きく育てる会(栗原市)」の発足総会に、仲間と共に応援に駆けつけていただきました。さらに、翌年、1999年11月の同じく図書館で行われた第2回総会には、おはなしの実演をしていただきました。この後、育てる会が要望してこの図書館でお話のボランティア講座が開かれ、今日の「おはなし会」につながってきています。

2、おはなしを聞く

① (NO.8)日本の昔話 「小判の虫干し」
 
 『日本の昔ばなし2』松谷みよ子 講談社文庫 (6分) 
  関連するリンク先ー日本の昔ばなし⑵ 小判の虫干し

 寝太郎ばなしの一つでしょう。ねずみの小判の虫干しを寝太郎が、ただ、何もせず(取らないで)番をしただけなのに、後で、ねずみにお礼の小判をもらうという昔話です。要するに、欲たかりを戒めている話だということです。この松谷みよ子独特の語り口を、川端さんが、大変心地よい温かい雰囲気で語られました。(歌の部分もとても楽しい。)この話を、聞いていて、ホットしてきました。

② (NO.9)日本のおはなし  「茂吉のねこ」 
  『茂吉のねこ』松谷みよ子 ポプラ社 (12分)
  関連するリンク先―絵本の扉を開けて「茂吉のねこ」

 鉄砲撃ちの茂吉は、家族もおらず、ねこを相手に毎晩、大酒飲み。しかし、酒屋で飲んだ覚えの無い分まで請求されます。茂吉のねこは、化け物たちに酒泥棒を強要されていたのです。それがばれてしまって、化け物づくしの野原でねこは、化け物たちに「茂吉を殺すべし」と命じられます。ねこが拒否すると「茂吉のねこも死ぬべし」と危機一髪になります。その時、茂吉の鉄砲が火を吹き、化け物たちは退治されました。村人が捨てたものがみんな化け物になったのです。-という話で最後が締められていました。川端さんは現在の仙台のゴミ袋有料化の話も出して、この話が今日にも通じると話されました。それにしても、川端さんのこのおはなしは、大変迫力があってグイグイとはなしに引き込まれてしまいました。絵本もあるので確認して、素話か読み聞かせで私もレパートリーにできるか検討してみます。

③ (NO.10)イラン 「ちっちゃなゴキブリのべっぴんさん」
 
 松岡享子訳 『子どもに語るアジアの昔話1』 こぐま社 (17分) 
  関連するリンク先―セブンアンワイ 子どもに語るアジアの昔話1

 か弱いゴキブリの娘が父親に「もうオマエの面倒を見てやれない。」と言われます。そこで、綺麗に着飾って、都会の金持ちのところへ「ハマダーンにおでかけ」と言って嫁入りに出かけます。旅の途中で綺麗なゴキブリの娘は、肉屋、八百屋などに求婚されますが、全て断ります。しかし、言葉も気持ちも優しいねずみのダンナとは結ばれました。結婚してまもなく、このか弱いゴキブリの娘は、沼にはまってしまいました。彼女を助けに行ったねずみのダンナは、煮立ったナベの中に落ちるという不幸な事故にあい、死んでしまいます。嘆き悲しんだゴキブリの娘は、この後、あらゆる結婚を断り、黒い服(喪服)を脱ぎませんでした。―という話でした。私が、こうして文字にすると全く、味気ないです。しかし、川端さんのゴキブリの娘の野菜の皮などで着飾った衣装や、ゴキブリと他の者との会話の素晴らしい表現は、とても面白くて参加者は、聞き惚れてしまいました。(私には、ちょっと真似ができません。演者は女性向です。)

④ (NO.11ドイツのおはなし 「ふしぎなオルガン」
 
 『ふしぎなオルガン』レアンダー作/国松孝二訳 岩波少年文庫 (9分)
  関連するリンク先―岩波書店 ふしぎなオルガン

 とてもじょうずにパイプオルガンをつくる、若者が神さまのおぼし召しにかなった花嫁花婿が教会に入ってくると、ひとりでに鳴り出すというパイプオルガンを作りました。若者は、土地の娘たちを探して、一番信心深く一番綺麗な子を選び、結婚式を挙げることになりました。しかし、彼は、自分の功名心のみ考えていたためオルガンは鳴りませんでした。それを彼は思いあがった心から花嫁のせいだと、考えました。そして、一人で旅に出てしまい、よその国で10年の間、暮らしていました。そのうち、故郷や、花嫁のことが、無性に思い出されました。それで、国へ帰って、花嫁に許しを乞おうと決心しました。故郷に帰り、町の門に足を踏み入れた時、長い葬式の行列が、向こうからやってきました。それは彼の花嫁の棺でした。彼はひっきりなしに泣きじゃくり、一緒に行列に加わりました。行列は教会に着きました。そして、棺が、教会に入るとパイプオルガンがひとりでに鳴り始めました。その音色の素晴らしさといったら、これまで誰一人として、聞いたことがなかった程でした。長旅のために、彼は疲れきっていました。そして、パイプオルガンの最後の音が響き止んだ時、彼は、床の石畳の上に倒れて、息を引き取りました。これを見て、皆は、それが、誰だかということがわかると、棺の蓋をあけて、花嫁のそばに、一緒に寝かせてやりました。蓋を閉めると、パイプオルガンは、もう一度、かすかに鳴り始めました。それから鳴りやんで、もう二度と、ひとりでに鳴り響くことはありませんでした。―このような話でした。
 この話は昔話ではなく、ドイツの外科医レアンダーが戦地から子どもたちに書き送った童話であり、創作です。日本での初版が1952年ですから、これが、書かれたのは第2次大戦の少し前かと思われます。確か、少し前、私はTVでアニメになっているものを見た記憶がありました。かなり有名なお話だと思います。私は、この岩波少年文庫を直に見ていませんが、川端さんによると、全て「オルガン」となっているそうです。日本でいう一般的な「オルガン」は小学校にあるような小さな箱型のものですが、西洋で言う「オルガン」は全て「パイプオルガン」を指しているということでした。そこで川端さんは「パイプオルガン」と言い換えているということでした。

<仙台弁で>

⑤ (NO.12)日本・宮城の昔話 「おっちょろ ちょろ」
 
こばと文庫 佐藤義子さんの語りから 『宮城の民話』宮城民話の会採話記録 宮城県教育委員会 (7分)
  関連するリンク先―アマゾン おんちょろちょろ

 道に迷ってしまった格好ばっかでお経なんて一つも知らない小僧さんが泊めてもらった家でインチキお経をあげます。小僧さんがひょいと部屋の隅を見ると、ねずみが一匹ちょろりと顔を出したので「おっちょろ ちょろ出て来られそうろう」と。お婆さんも後から続いて「おっちょろ ちょろ出て来られそうろう」と。するともう一匹のねずみが床の穴からちょろりと覗いたので小僧さんは「おっちょろ ちょろ穴覗きそうろう」と。お婆さんも「おっちょろ ちょろ穴覗きそうろう」と。すると二匹のねずみは顔を見合わせてちゅうちゅう鳴き始めたので「なにやらふにゃふにゃ話されそうろう」と。その声に驚いたのかねずみは仏壇の陰に隠れたので「おっちょろ ちょろ隠れてそうろう」また出て来たので「おっちょろ ちょろまた出てそうろう」と。最後は、ねずみは穴の中に逃げ込んで「そのままちょろちょろ帰られそうろう」と。ある晩お婆さんの家に二人の泥棒が忍び込んだ。お婆さんが、このお経を一生懸命に唱えたため、泥棒たちは、気味が悪くなって何にもとらずに逃げ帰った。-という話です。
 この昔話は、宮城のというだけでなくあると思いますが、一般的には「おんちょろ ちょろ」で通っています。(絵本もあります。)佐藤義子さんは、地元、栗原市岩ヶ崎の出身だそうです。生前の佐藤さんから、宮城民話の会の小野和子さんが採話されたものだそうです。佐藤さんのこの辺り、岩ヶ崎の方言と仙台弁とまた少し違うということですが、私にはよく分かりません。(名古屋出身、東京育ちのため) しかし、話自体がユーモア溢れるものであることもありますが、川端さんの話はとても味わい深く、方言によって更に一層、素朴さが出ているようでした。

⑥ (NO.13)ドイツ・グリムの昔話 「猫とねずみの一緒暮らし」
 
KHM2 川端純四郎・英子訳 (11分)
  関連するリンク先―ウィキペディア 猫とねずみとお友だち

 猫とねずみが一緒に暮らしていました。冬を越すためにヘッド(牛の脂)を壷に入れて教会の鐘の下に蓄えておくが、猫はどうしても我慢できなくなります。猫は、「名付け親を頼まれているので、留守番を頼む」とねずみを騙し、ヘッドのところへ行くと、上皮の部分を全部なめてしまう。帰宅した猫にねずみが「なんと名前をつけたのか」と尋ねると、「一皮向けた」と答える。ねずみは、変な名前をつけたもんだと言います。後日、またしても我慢できなくなった猫は、また名付け親を頼まれたからとねずみを騙し、今度はヘッドを半分なめてしまう。今度は何という名前をつけたのかとねずみに尋ねられた猫は、今度は「半分ぺろり」と答えます。ねずみは、そんな名前は聞いたことが無いと訝しがります。さらにもう一度、猫が名付け親を頼まれたと言うと、ねずみは疑いながらも見送りました。猫はとうとう、すべてのヘッドを平らげてしまいました。今度はどんな名前をつけたのかとねずみが尋ねると、猫は「全部おしまい」と答える。ねずみは、いよいよおかしな名前だと不審に思います。やがて冬が来て、外で食べ物が見つからなくなったので、ねずみはヘッドの壷のところへ行こうと猫を誘います。しかし、ヘッドは跡形もなくなっていました。空っぽの壷を見て全てを理解したねずみは、ヘッドを独り占めしたことについて猫を責めようとします。しかし、その瞬間、猫はねずみに襲い掛かり、「全部おしまい」と飲み込んでしまいました。―という話です。(あらすじの表現が仙台弁になっていなくてスミマセン。)
 このグリムの昔話は、「猫とねずみとお友だち」、「猫とねずみといっしょのくらし」、「猫とねずみのいっしょのくらし」などとも訳されていて、内容は同じです。川端さんは、これをご主人の川端純四郎さんの協力で、日本語に訳されたのを更に仙台弁にしてお話をされています。私は、川端さんのお話を聞くのは2度目だと思います。初めて聞いた時は、方言で語るということがイマイチ良く理解できていませんでした。ただ、流暢に語られていて「凄いな」と思ったのを記憶しています。今回は、「演者が一番普段から使い慣れている言葉、方言でそれが理解できる対象にたいしてお話をする。」ということが、一番、昔話の表現としては適しているのではないかと思いました。川端さんは、「京都の方ならこれを自分の言葉、京都弁でされれば良いのでは…」と話されていました。川端さんは、全国各地でこのお話を自分の言葉、仙台弁で話されますが、その時、その場(地域)によって少し解かるように変えているということでした。また、この話は、短絡的に「正直者が馬鹿を見る」等と解釈されかねません。そこで、川端さんは、子どもたちにこの話をした最後に、「世の中には、時としてこんなこともあるでガスゾ」とか、小学校中学年以上の女の子には、「男には騙されるでないでガスゾ」など一言付け加えているということでした。子どもたちは、自分たちの知らない世界をお話で知ることが大切だと思いました。

3、質疑応答など

 <質問1>

 「オルガン」の例のように日本語に翻訳された表現で、自らが変えることについて、また、差別的な表現についてはどのように取り扱われていますか?(これは、私の質問。「ラプンツェル」、「葉っぱのフレッディ」の例も出しました。)

 <川端さん>

 「ひとまねこざる」のシリーズは、1950年前後のもの、訳で例えば、日本では、当時スパゲッティは、まだ一般に広まっておらず、それを「うどん」と訳していました。その時代、その国の社会情勢等に、訳も制約されます。今日において、日本語としておかしいのであれば、改めて訳し直すことも必要かもしれません。差別的な表現については、話の中の主人公が語っているのか、会話の中に出てくるのかによっても区別します。会話はなるべくそのままに、主人公が語る言葉は、慎重に取り扱います。「茂吉のねこ」で最後に茂吉が「鉄砲を『きちがいのように』撃つ」という表現がありましたが、私は好きではありません。そこで、『きがくるったように』と言い替えています。勿論、著作権が絡んできますから作者にお断りをして行うのがスジです。

 <質問2>

 お話を覚え、人前で演じることについて、とてもとても大変です。頭の中が真っ白になることも…先生のように上手くなるにはどうすれば良いのでしょうか?

 <川端さん>

 間違わないなんて絶対にありません。今日も何ヶ所か間違えています。(私には、全く、分からなかった。)「間違えてスミマセン」とは絶対に言わないこと。(シラを切ることか?)失敗しても練習は、決して無駄にはなっていません。優れた文学を自分のものにしてきているのですから。皆さんの前で回数を沢山やってください。そしてお互いに「人の意見は素直に聞くこと」「決してムッとしないこと」が大切です。

 <感想>

 イランのお話に対してーこの国は女性の地位が低いわけですが、それでもこのお話では、女性でもちゃんと自己主張していると解りました。それが、嬉しく感じました。

 <川端さんからも> 
 
 一夫多妻制と言っても女性の地位が低いため、女性たちを助けるという意味もあったということです。それでも、平等の世界へ向かって進んでいるのだろうと思いたいです。イランでもこの話などの素敵な絵本を出してきています。




   絵本「RAPUNZEL   ポール・ゼリンスキー文・

                        2008.1.13 

  この絵本を取り上げるまでの経過

  BOOKSの第2弾が絵本になります。私は、今でも地元の図書館で読み聞かせボランティアのグループに参加しているため、絵本は一年間にかなりの量を読んでいます。そんな中で最初に取り上げるのがこの絵本④。まだ翻訳もされていないこの絵本をなぜ取り上げるのかから説明をします。昨年末、図書館での恒例の「冬のあったかおはなし会」の打ち合わせでのことです。プログラムの選定で最後に残った一冊。深みのある昔話などで何か無いかとなかなか決まらず、選定を当日たまたま欠席していたメンバーでもう一人の男性(語りの実力はメンバー随一)に任せることにしてしまいました。(私は、安野光雅の「おおきなもののすきなおうさま」担当)
 準備も押し迫った一週間前、もうリハーサルという段階で彼はグリム童話からバーナデット・ワッツの「ラプンツエル」②を選び、これを実演しました。これに疑問を持っていた図書館司書はプログラムに同じく図書館にあるフェリック・ホフマンの「ながいかみのラプンツェル」①も紹介すると言う。この後、私が「②はグリムのその精神を崩している、①の方が妥当だ。」と主張し、ちょとした論争になってしまいました。そして結局は急いで別のものを準備してもらおうということになりました。当日のおはなし会の参加年齢層が少し低かったこともあり、変更してもらった「なんげえはなしっこしかへがな」が好評でしたので、結果としてはこれで良かったということになりました。
 しかし、私の意見に賛同者は多かったものの強引に押し切ってしまったこと、経過からして彼に何の落ち度もなくむしろ私がルール違反をしたこと、それに私もフェリック・ホフマンの①が絶対に良いと言い切れないこと、などから自省の念にかられました。そこで「冬のあったかおはなし会」の打ち上げ兼忘年会で、彼に全面的に謝罪しました。
 こうした経過から①②の他になにか良いグリム童話絵本「ラプンツェル」はないかと探し始めました。

 この絵本を取り寄せて

 そこで見つけたのが絵本ならべ「Rapunzel]の詳細④でした。さっそく図書館でリクエストしたところ、「この絵本はまだ翻訳されておらず、県内でも全国でもヒットしません。アマゾンでは扱っていたけれど…」と言われました。英文の専門図書館とか国会図書館(国際子ども図書館)まで範囲を広げればあると思いますが、ネットワークの有無は確認していません。時間もかかりそうなので結局、アマゾンでネット購入することにしました。そして、新年早々、届きました。

 この絵本の内容

 グリム童話の「ラプンツェル」の紹介とあらすじはラプンツェルーWikipediaをご覧ください。しかし、この絵本「RAPUNZEL」は前述の「絵本ならべ」を見ていただければ分かりますが、ドイツのグリム童話ではなく、そのもとのフランス、さらに前のイタリアと三国のそれぞれの中でも最もふさわしい内容を統合して再話しているとのことです。(私自身がこの英文を全部訳せないものですみません。作者自身がこの絵本の最後の3ページを使って A NOTE ABOUT ”RAPUNZEL” とかなリ詳しい解説をしています。)グリムの初版本と同じですが王子との逢い引きが発覚するのは dress tight 「お腹が大きくなったから」としています。「魔女」については sorceress  「魔法使いの女≒魔女?」ドイツ語の Frau Gothel はここでは Stepmother (まま母)になっています。(多くの作品が採用しているドイツ語からの「ゴーテルばあさん」という訳は間違いと思われます。⑤で野村氏は「Gotel」というドイツ語は固有名詞ではなくて、「女の名づけ親」を示す普通名詞だとしています。そして彼は「名ずけ親のおばあさん」と訳しています。)

 この絵本の絵について

 さて、ようやく本題の絵について述べます。この作品は1998年度のコールデコット賞を受賞しているようにかなり完成度の高いものです。イタリア・ルネッサンスの絵画を見ているような素晴らしいものです。背景、動植物、建物、家具・備品、そして登場人物の表情、それに衣装、実に丁寧いに描きこまれています。王子の衣装は、場面に合わせ実に5回も変わります。(その一部はネット上で絵本ならべ「Rpunzuel」…→アマゾンで詳細確認→なか見検索で見ることが出来ます。)絵はその人の好み、嗜好がどうしても入ってきます。私はこのポール・ゼリンスキーの絵は大変好きです。

 その他の絵本について

 まず最初に①ホフマンの作品について。(オークション ホフマン絵で見ることが出来ます。)私自身、ホフマンの作品は「ねむり姫」「おおかみと七ひきのこやぎ」「つむぎのひげの王さま」など大変好きな作品が数多くあります。しかし、全ての作品が良いわけではありません。松岡享子さんが「昔話絵本を考える」(日本エディタースクール)の中で仲間と合宿をしてホフマン絵本「七わのからす」の批判・検討をした経験を語っています。この作品も今後、集団的に意見の交換と検討をしたいと思いますが、まずは私の感想を述べます。表紙から最後のまで王子は王冠のプリント?(実際には刺繍だと思います)の入った上から下まで真っ赤の衣装をまとっています。ホフマンのことですからそれ自体に何か意味がある筈ですが、私には理解できませんし、好きではありません。魔女が赤ちゃんを連れ去る画面、その赤ちゃんがグロテスクで大きすぎます。そして、最後の場面、魔女の体がしぼみ、大きな鳥にえさとして運ばれる絵。これは他のどの作品にも無いもので、ホフマンがグリムのどの版を作品にしたのか不明です。この場面はやはり無い方がスッキリします。翻訳された文、瀬田貞二氏のここでの「いんがおうほう」(因果応報)という表現も、子どもたちには理解し難いものです。

 次に②バーナデットの作品について。(アマゾン バーナデットで見ることが出来ます。)彼の作品に登場する人物すべてが優しい可愛いい顔に描きすぎています。彼の作品は、「赤ずきん」「白雪姫」「こびとのくつや」など図書館にも数多く置いてあります。私はこのどの作品もそれぞれ別の作者で彼のより良い、優れていると思う作品があります。バーナデットの原文の確認はしていませんが、福本さん訳のこの作品では「魔女」「魔法使いの女」でも「魔法使いのばあさん」でもなく「まほうつかいのおばあさん」となっています。それと対応して絵の「おばあさん」も表紙から殆んど最後まで極めて優しい顔の「おばあさん」が描かれています。さすがにラプンツェルの髪を切る場面のだけは少し怖い表情になっています。グリム童話の主な舞台となるドイツの深い森は、魔女やオオカミの住む底知れない不気味な場所の筈です。やはりこの作品は全体的にグリムのその精神を崩しているといわざるを得ません。

 最後に③ハイマンの作品について。」この作品を大変高く評価しているブログ「ラプンツェル」かきかたノートを見てしまい気になってこの絵本も入手しました。確かに「グリムの森」にふさわしい、全体的に独特の仄暗い絵です。翻訳の文も「上品で美しい日本語」(前述のブログの評価)とは思いませんが、他の作品とかなり違った感じの歯切れの良いテンポのものとなっています。ただ私は好きではありません。文もですが登場人物の顔が少し現代的過ぎると思います。このあたりになると、やはりもう「好みの問題」としか言いようが無いのかもしれません。

 昔話を絵本化する問題 

 その他の絵本についての方が少し長くなりました。小澤俊夫氏が「昔ばなしとは何か」(大和書房)の中で次のように言っています。「本来、口で伝えられてきた昔ばなし、従って時間的文芸である昔ばなしを、絵という視覚的手段によって子どもたちに与えるには、昔ばなしの本質を知ったうえでの、さまざまな工夫がなされなければならない…」(同P64)と。こうしたことからグリム童話を絵本化することはとても大変なことだと分かります。そうした意味で①~③は到底グリム童話絵本「ラプンツェル」の決定版といえません。
 私が今回取り上げた④絵本「RAPUNZEL」は、グリムを取った「ラプンツェル」絵本の決定版だと思います。是非、どなたかこれを日本語に翻訳して、どこかの出版社から出していただけないでしょうか。
  こうしたことに加え、翻訳ということからも外国の本を日本語に置き換えること自体にも最初から困難を抱えます。すでにここまで述べてきた中でも「魔女」≒「魔法使いの女」、「まほうつかいのばあさん」≒「まほうつかいのおばあさん」、ここでは出しませんでしたが初版からとったとしている小学館文庫では「妖精」となっているとのことです。それぞれ日本語の意味が少しずつ違います。どれが良いか今の私には分かりません。(今後の課題とします。)

 最後の最後に⑤シュペクター画について。一枚絵とは古くからある庶民のための絵入り新聞のようなものです。ミュンヘン一枚絵は、子どものために当時の名高い画家が製作したものです。シュぺクター画による「Rapunzel」はオークション一枚絵で不鮮明ですが見ることが出来ます。一枚絵のスペースをひとつのまとまった空間として用い、巧みな構図で話全体をひとつの調和した絵の中に再現しています。この画は極めて芸術性が高いと評価されています。シュぺクター画は勿論、絵本ではありません。しかし、グリム童話絵本①~③の絵と比較した時、これらを遥かに超えていると思わざるを得ません。逆に言うと、1857年のシュぺクター画「Rapunzel」を超えるグリム童話絵本「ラプンツェル」の出現が待ち望まれます。

 <取り上げた絵本・画>

①「ながいかみのラプンツェル」グリム童話、フェリックス・ホフマン絵、瀬田貞二訳、福音館書店、1970年
②「ラプンツェル」グリム原作、バーナデット・ワッツ文・絵、福本友美子訳、BL出版、2006年
③「ラプンツェル」グリム童話より、バーバラ・ロガスキー再話、トリナ・シャート・ハイマン絵、大庭みな子訳、ぽるぷ出版、1982年
④「RAPUNZUEL]ポール・ゼリンスキー文・絵、Dutton Chidrens Books、1997年
⑤「Rapunzel]オットー・シュペクター画、1857年のミュンヘン一枚絵、「目で見るグリム童話」野村 ひろし著、筑摩書房、1994年より
市議会傍聴記
7月2日図書館・学校図書館問題栗原市議会定例会傍聴記  

  「図書充足率112%って一体、何?」 

                                   2008.7.4  

異様な雰囲気での市議会

 6月14日の岩手・宮城内陸地震のため中断していた栗原市議会6月定例会が、7月1日より再開され、この日はその2日目。図書館をもっと大きく育てる会(栗原市)の会員でもある三塚 保夫市議が、本会議での一般質問でこの問題も取り上げると言うのでこの間、資料提供等してきたこともあり、傍聴をしに行きました。定刻の10時より少し早めに市議会につき、エレベーターで佐藤 勇市長と一緒になりました。このところ、連日TVで見かける防災服でしたが、私は、軽く会釈をしただけで、彼は、秘書?と慌しくエレベーターの中でも打ち合わせをしていました。定例会は、本会議場で行われるかと思ったら、天井等が、かなりひどい破損状況でした。それで、横の会議室でとなっていました。学校統廃合問題で2月6日に文教民生常任委員会の傍聴をしたのと同じ場所でした。かなり狭いところで執行部と議員だけでも満杯。傍聴席はたったの8でした。私は15番目でしたのでドアを開けた廊下での傍聴となりました。議場の執行部全員が市長と同じ防災服、市議も作業服という何だか緊急事態という、緊張した異様な雰囲気でした。

 図書館・学校図書館問題は教育長が答

 三塚市議の一般質問は、3項目。1番目はやはり、地震対策について。自主防災組織の対応などの検証を求めていました。図書館・学校図書館問題は、最後の3番目でした。一回目の質問時間が30分。3番目ですから10分は切ってしまい、7~8分といったところ。「本のあるくりはら」第8号と第9号に基づき、どうしてもデータ(数値)中心で、あと学校図書館法を用いる位でした。市長の答弁もやはり、1番目に重点を置き、2番目は(市長の地元のこと)大枠を述べ、3番目は佐藤教育長に答弁を全て任してしまいました。本当は、市長にも答えてもらいたいところですが、現在の状況では止むを得ないと考えています。

 図書館- データ上、県内平均を上回ればいいのか?

 しかし、問題は、教育長の答弁の中身です。データに対しては、データで答えてくることは想定内のことでした。廊下での傍聴でしたのでよく聞き取れませんでしたが、図書館については、第8号で資料費、蔵書冊数、貸出冊数を取り上げています。教育長の言い分は、これに対して、公民館図書室等の分を加えれば、いくつかの指標で県内平均を少し、上回るというものでした。確かに、それはその通りです。(そう来ることは想定内)そのために、この間、「栗原旧10町村の図書費と栗原市の図書費」」「図書館と主な公民館図書室等の利用状況」という資料をまとめてきているところです。前者の*4の中で「公民館図書室等が資料費だけでなく組織・機構上でも再編・整備され、市立図書館の基に置かれれば、(図書館分館、支所、或いは、地域図書館とか…)協会での扱い(全国比較でも)も統一されたものとなると思います。」としたように宮城県図書館協会の集計に公民館図書室等が含まれないのは、それなりの理由があることです。
 新しい施設の金成と一迫に関しては市立図書館とのコンピューターシステムの統一ができれば直ぐに集計に加算されると思いますが、現状では、市内全域の市民がその2つの施設の図書を利用できる状態になっていません。他の公民館図書室の資料にいたっては、廃棄すべきものも多く含まれています。データを示しておいてこのように言うのは、矛盾するかもしれませんが、データは、データでしかなく、もっとその中身を見ていただきたい。県内平均といっても宮城県自体が、全国比較では、低位です。日本自体でも世界の進んでいるところと比べれば、まだまだ遅れています。 問題なのは、今の読書環境で、市民にとっていいのかということです。 2010年を国民読書年とする決議 が衆参両院で採択されています。今後の日本にとって、世界の中で生き抜いていくには、教育を重視し、読書立国をめざしていくことが、求められています。今、必要なのは、つじつま合わせや、あれこれの言い訳ではなく、内実です。

 学校図書館- 「図書充足率112%って一体、何?」

 次に、教育長は小・中学校図書館の現状について、図書充足率が小学校で、112%、中学校で85.3%であると報告。今後は、合理的配分に努めると答弁しました。私は聞いていて一体何を言っているのか全く理解できませんでした。答弁している教育長、その内容を準備した事務局、それに、質問した三塚氏も再質問をしませんでしたから疑問を持たなかったのか理解していません。それに当日は地震のこともあり、多くの報道陣も取材していましたが、問題視する様子は、全くありませんでした。文部科学省の行っている「学校図書館の現状に関する調査」には、図書充足率なる概念は全く有りません。この「図書充足率」なるものが何を意味するのか、それに100%でなく、何故112%にもなるのか全く分かりませんでした。「本のあるくりはら」第10号では、6月8日に行われた市政懇談会での教育長と私のやり取りを掲載しました。
 教育長は、その中で、「おかげさまで、栗原市では、学校図書館の図書標準を小学校では100%達成しています。中学校の方は、残念ながらそうではありませんが…」
それに対して私は、次のように指摘しました。「100%予算措置しない理由に栗原市は、「学校図書館図書標準を達成しているため」と、ここ、2年間も答えているけれども、これは、明らかな間違いです。同じ年の別の文部科学省の調査で栗原市は、100%達成している小学校は、12校の、41.4%、中学校では、3校の30%と回答しています。」
 この間違いについて、教育長はいまだに理解していません。彼は、これを理解しようとしないばかりか、今度は、さらに私から見ると理解不可能な「図書充足率112%…」を出してきました。これが一体、何を意味するのか私の方が理解するために翌日の7月3日午後、市教育委員会学校教育課に行き、担当の課長補佐に真意を確かめました。

 図書充足率を出すことは、
           
        全く意味のないデスクワーク、自己満足


 参考(小・中学校の図書充足率)        
  平成17年度 小学校  98.5%            
  平成18年度 小学校 108.2%           
  平成19年度 小学校 112.0%          
  平成17年度 中学校  90.5%       
  平成18年度 中学校  99.4%
  平成19年度 中学校  85.3%
 参考(充足率の算定方法【説明】)
 ①図書標準=基本冊数+乗算冊数×(学級数-減ずる数)
 ②充足率=(学校図書数÷図書標準)×100
 ※①の式により図書標準を求め、その後、②の式により学校図書数を図書標準で割り、パーセント 表示した率が充足率です。


 課長補佐は、全ての小中学校のデータ一覧を持っているようですが、上記のこれだけを出してきました。それで、私はやっとこの「図書充足率」なるものの意味することが理解できました。そして、これを出してきた真意も見当がつきました。

 分かりやすくするために、6月7日に記した「3つの学校図書館を訪問して」の3校をこれに当てはめて説明します。
 つまり、市に今、富野小学校と築館小学校と津久毛小学校の3校しかないと仮定してです。
富野小(38人、5学級) ①学校図書館図書標準4560冊 ②蔵書冊数8894冊 ②/① 1.95 (195%)
築館小(447人、16学級) ①  〃    9580冊 ② 〃 10911冊 ②/①1.14 (114%)
津久毛小(47人、5学級) ①  〃    4560冊 ② 〃  2859冊 ②/①0.62  (62%)
 これを文部科学省の「学校図書館の現状に関する調査」図書等の整備状況調査に即して分析すると
 各学校における学校図書館図書標準の達成状況 50~75% 1校 達成(100%以上)2校 各自治体において、学校図書館図書標準を達成している学校数が、当該自治体の全体校に占める割合 66.7% となります。ただそれだけです。
 これを、栗原市独自の「図書充足率」なる考えを当てはめると、
 (8894+10911+2859)÷(4560+9580+4560)=1.21 121%となります。
 66.7%と121%、この二つには、明らかに考えた方の違いがあります。課長補佐にこのことを説明しても、「それは、あなたの考え方でしょう」といいます。「違います。これは、調査をしている文部科学省の考え方なのです。」と言いましたが、はたして正確に理解してもらえたかどうか私も自信が持てないため、この文章を作成しています。

  今度は、仮定ではなく、この4月21日に文部科学省が発表した平成19年度「学校図書館の現状に関する調査」結果について からです。
[宮城県]の表から
栗原市分の
  公立小学校 各学校における学校図書館図書標準の達成状況 25~50% 1 50~75% 5 75~100% 11 達成(100%以上) 12 
各自治体において、学校図書館図書標準を達成している学校数が、当該自治体の全体校に占める割合 41.4%  
  公立中学校 各学校における学校図書館図書標準の達成状況 50~75% 1 75~100% 6 達成(100%以上) 3 
各自治体において、学校図書館図書標準を達成している学校数が、当該自治体の全体校に占める割合 30.0%
  ですから、実際には、文部科学省(図書標準の達成校の割合)と栗原市(全部均して、トータル数で「図書充足」が行われ、 100%?を超えればよい)との結果の取り方の違いは、小学校41.4%と112%、中学校30.0%と85.3%となってきます。しかも、担当者は、中学校が18年度から19年度で4.1%減少したのは、廃棄を進めたところがあるためと言っていました。廃棄を進めることは当たり前のことであり、まだまだ栗原市の多くの学校で充分に行われていません。廃棄の認識も不十分です。

  再び、具体的に例に挙げた3校について考えてみます。
富野小は、195%とかなりの高水準です。しかし、ここ2年間の図書費の配分は10万円を切り、合併前の3分の1まで減らされています。学校図書館図書標準自体は高い水準ではありません。ここは、更に上の全国学校図書館協議会の メディア基準 をめざすべきです。100%措置に見合う少なくとも今の2倍の配分が必要です。今後も適切な廃棄と更新を行い、施設として、活動としても栗原市における最先端を進むモデル校にすべきです。
築館小は、確かに学校図書館図書標準の達成はしているものの、実際にその図書室を見ると問題は山積しています。学校の大きさからするといかにも手狭です。今の2倍以上が必要です。パソコンも問題アリ、学校司書の配置が今直ぐ必要。何と言っても合併前より図書費が、半減されてしまっていることは大問題です。築館小は、市内で最も大きい学校です。データベース化や、活動も高水準の学校です。しかし、ここは、もっと、栗原市を代表する学校図書館にするために、大規模な改造計画が必要です。
津久毛小は、栗原市において多分、平均的な学校図書室の状態のように思われます。この2年ようやく図書費が100%措置以上になってきました。それでも現在の水準です。つまり、100%でも不足なのです。廃棄処分も行われていません。子どもたちが読書好きであること、校長先生が読書活動に熱心であることという好材料もあります。文部科学省が学校図書館図書標準を作り、もう十数年も毎年地方交付税ではありますが多額の予算措置をしているのは、本来の自治体での学校図書館図書費に上乗せして、こうした学校図書館図書標準にも達していない学校も早急にそれを達成するよう促しているものです。ここは、栗原市において、遅れている学校図書館(室)を抜本的に改善していくモデル校にすべきだと思います。

  再び、6月6日の市政懇談会で私が要望したことを繰り返します
早期に実現を要望すること。(9月補正で) 
① 図書館資料費をあと1000万円増額すること。
② 学校図書費もあと1000万円増額すること。
今年度中に実現を要望すること。
③ 「図書館整備計画」の策定。
④ 学校図書館の充実計画を盛り込んだ「子どもの読書推進計画」の策定。


  栗原市が、「図書充足率」を用いることは、全く意味のないデスクワークの典型です。市政懇談会でも強調しましたが、あれこれ言う前に先ず、各学校図書館の正確な実態を把握していただきたいと思います。そして、何が、今、子どもたちに必要なのか、どのようにすればよいのかを、子どもたちの中と学校図書館の現場に立ち考えていただきたいと思います。図書館と公民館図書室のこれからのあり方についても同様です。



プロフィール

Author:図書館をもっと大きく育てる会(栗原市)
このブログは、いつでも、どこでも、誰もが、身近に利用できる図書館をめざす「図書館をもっと大きく育てる会(栗原市)」のホームページ「本のある広場」を受け継いだものです。

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